若干のずれ
若干のずれ
これが大きなずれとなることがある。
子どもたちを育てていくのは、家庭と学校である。
目的は同じはずである。
しかし、家庭と学校とで感じ方、考え方にはちがいがある。
例えば、子どもが漢字を書くのが苦手だとする。
家庭では、漢字練習を子どもにたくさんさせて覚えさせたいという考えがある。
自主学習で漢字練習をさせ、日記を書く時には習った漢字は書き直させる。
学校では、別の方法で漢字を習得させるために策を講じている。
担任の先生の思いと考えがあって、実践をされている。
電話、連絡帳、学級通信、面談などできちんと思いと考えを伝えれば
家庭もある程度は納得し、協力してくれるだろう。
若干のずれだから修復することができる。
しかし、ここで何も伝えなかったとしたらどうだろうか。
若干のずれは、少しずつ大きくなる。
なんで?どうして?という思いが不信感へとつながっていく。
子どもがプラスの変容を見せていたらそうではないかもしれないが
一向に変わらなかったり、マイナスの変容を見せていたら
若干のずれは大きなずれとなってしまう。
家庭と学校とで若干のずれは必ずある。
そのずれを認識し、お互いの思いや考えを共有することが求められる。
それがこれからの時代はより必要になってくると思う。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。