U-----s blog

小学校の先生です。特別支援学級で子どもたちと楽しく過ごしています。日々感じたことを綴っています。通常学級の経験もあり

学校の「当たり前」をやめた。

フォレスタネットさんからのキャンペーンで
学校の「当たり前」をやめた。
に当選した。
本との縁を作っていただき、感謝である。
この本は、5章にわかれて書かれている。
各章を読み終えたあとで、その章について書いていこうと思う。

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第1章「目的と手段の観点からスクラップ(見直し)する」

この章では、目的=手段となっていないかということが大きなテーマである。
例えば、教室の掲示物。
書くことが目的になっていないであろうか。
飾ることが目的になっていないであろうか。
クラスにある会社や係の新聞や呼びかけ、係紹介カードなどは
本来、クラスのみんなに読んでもらうために書くものである。
「他者意識」
子どもたちに意識をもたせながら書くことが大切だ。
とはいえ、時間がない中で書かせるのだから
そこまで丁寧に指導して、活動させることができない。

そのときに目的に戻るのである。
・何のために行うのか
・本当に必要な活動なのか
「毎年やっているから」、「学期はじめは行うのが当たり前だから」
その思考を見直す必要があるのである。
常に、最上位の目的は何なのかを考え、判断、行動していくことが大切だ。


私は、非常に納得させられた。
教員になって
「学期のはじめは、1学期の目標を考えさせて、係を決めて、係紹介カードを書かせるんだよ。」
「授業参観で保護者が見るから、丁寧に書かせるんだよ。」
と先輩教員から言われて
「これが学校なんだ。丁寧に字を書かせたり、色を塗らせたりしないとな。」
と思いながら当たり前に行っていた。
私の指導技術が至らないところもあるのだろうが
時間ばかりかかっていて、「掲示するために書く」ことが目的となっていた。
様々なカードを書くことに時間を割くのなら
各教科の授業に十分な時間を費やして子どもたちの力を伸ばしたいと思っていた。
目標や係紹介カード書くこと自体が悪いわけではない。
何のために行うのか明確であれば、目的を達成するための手段として問題ない。
私自身、目的がどこかに行ってしまっていたのである。

学校は、わからないことやできないことを
わかる、できるようにするために学習のプロセスを教えることが大切な目的であると思う。
その最上位の目的を達成するために「適切」な手段となっているのか
目的=手段となってしまう危うさを非常に感じることができた章であった。